現役介護士の深イイ話
インタビュー実施日:2019年8月9日
現役介護士にインタビューすることで、介護職として働くことのメリット、デメリットを伝え、これから介護職を目指そうとしている人達の背中を押すことが最終的なゴールです。
大した就職活動もせず、大学生の時にボランティアとして関わったNPO法人になんなく就職し、約12年間勤務。
その中で高齢者福祉・障害者福祉に関する沢山の資格を取り、経験を積む。
その後、過去に母が働いていた社会福祉法人に転職。現在は、介護支援専門員兼介護員として現場の最前線で働きながら、社会福祉士取得を目指して通信教育で学んでいる。
2女1男の父。自宅では王子様から悪の大魔王、掃除夫と様々な役目をこなしている。
介護福祉士 吉田さん
あなたにとって介護職とは?
共に笑える生活環境を利用者さんと一緒に創り出す。介護士というよりは、福祉人として、それを追求していく。
私のざっくり変遷記(職務経歴概略)
- 2003年9月~2004年3月グループホーム&デイサービス入居9名、通所10名定員、職員15人。NPO法人が運営する小規模な併設型の施設に、大学在学中からアルバイトとして働く。学生ながら夜勤からデイサービスの送迎までこなす。
- 2004年4月~2010年3月グループホーム&ホームヘルパー大学卒業後、同一法人の別事業所に所属。介護職員や訪問介護員を兼務しながら、法人が行うボランティア活動にも積極的に参加。県の委託事業に提案し、県内全域のバリアフリー状況を調査し冊子を作成する。
- 2010年4月~2014年3月様々な職務を兼務同一法人内で居宅介護支援事業所の介護支援専門員、9名定員の住宅型有料老人ホームにて相談員などを兼務する。法人が主催するホームヘルパー2級講座の講師も務め、初任者研修・実務者研修に移行後は立ち上げから講師まで行う。同時に労務管理や出身大学の評議員・外部講師も務める。履歴書に書いて説明するのが困難なカオスな仕事をこなす。
- 2014年4月~2016年11月系列の株式会社へ異動系列法人に異動し、福祉用具貸与・特定福祉用具販売の事業所を立ち上げ運営する。同系列法人が経営する高齢者マンションの相談員も兼務。
- 2016年11月~現在特別養護老人ホームへ転職前職を退職し、利用者数入居90名、短期入所10名、スタッフ数80人規模の特別養護老人ホームにて勤務。
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私はこんな介護士です。

大学卒業して初めての就職先では、グループホームやデイサービスでの介護員としてだけではなく、在宅のケアマネジャーや有料老人ホームの生活相談員、ホームヘルパーや福祉用具貸与・販売店の店長と様々な福祉事業の経験があります。
また、法人運営においても登記や給料計算、労務管理に関する業務など様々な仕事を行ってきました。認定審査会の委員や大学の評議員も担ったことがあります。出身大学にて外部講師や、大学評議員も務めたこともあります。
在宅に暮らす要介護者やその家族の大変さ、入所施設を利用している方の気持ちや、葛藤の末に入所させるに至った家族の想いなど、色々な立場の方の目線に立った経験を活かした介護を心がけています。
現在は特別養護老人ホームで介護支援専門員兼介護員として働いています。転職して間もなく3年になりますが、このように多岐に渡る業務経験や資格を持って採用されたため、入職当初から「何で現場に戻ってきたんだ、そんなにキャリアがあるのに今更一般の介護員として夜勤までするのか」と言われてきました。
私のモットーは、「共に笑って過ごすこと」です。いい意味で「仕事なのか、一緒に遊んでいるのか分からない」。そんな空気を作り出したいと考えています。
そのためには、現場だろうが管理者側だろうが関係ありません。自分が今置かれている立場で最善を尽くし、共に笑える生活環境を利用者さんと一緒に創り出す。「介護士」というよりは、「福祉人」として、それを追求していきたいと考えています。

どのようなことをキッカケに介護士になったのでしょうか?
母がもともと、現在私が勤務している社会福祉法人で定年退職まで働いていました。
大学に入るくらいの年までは、単に親に反発し「同じ仕事なんてしないからね」と啖呵を切っていました。そんな私が変わったきっかけが、大学3年生の時に母から強制的に受講させられたホームヘルパー2級の講座でした。
実習で特別養護老人ホームに行った際、生まれて初めてお年寄りのオムツ交換を経験。まだ資格すら持っていない、手際も悪い、当て方も悪い…そんなオムツ交換でも、満面の笑顔で「ありがとう」と言ってもらえたのです。
そこにあったのは“要介護者”と「介護員」ではなく、人と人との心の触れ合いでした。そして、それまで劣等感の塊のような存在だった自分が初めて他人から認めてもらえた…そんな感覚になりました。
また、同時に、またあんな心のこもったステキな笑顔に会いたいと考えるようになりました。
その時の笑顔が忘れられず、まずは在学していた大学と関わりの深いNPO法人のボランティア活動に参加しました。
私が受講したホームヘルパーの講座を主催していたのも、同じNPO法人です。早々と大学卒業に必要な単位を取得した後はアルバイトとしてそのNPO法人が運営するグループホームやデイサービスで働き、大学卒業後にそのまま就職。私の介護士人生はスタートしました。
他にも、やり甲斐や誇りを持って働く介護士がいます

介護士になって良かったこと、やり甲斐は何ですか?
人としての喜びや悲しみを、共に感じられるところだと考えています。一人一人、違った生活環境の中で違った経験によって形作られているのが「生活歴」であり「人間性」です。高齢者の方々の背景は、同じようなケースがあるとよく体系化し分類されることがありますが、私が思うのは、そんな一人一人の違いです。
個々の性格や生活歴、背景を理解し関わることで、その方の笑顔や心の奥に隠した想いなどを引き出すことができたとき、一番のやりがいを感じます。
やはり私は、毎日“あのときの笑顔”を求めて仕事をしているのでしょうね(笑)。
私は「向こう三軒両隣」を地で行くような地域に生まれ、育ってきました。今の私を形作っているのは、両親の献身的な愛と温かいまなざしで子供たちを見守り育んでくれた地域社会そのものであると考えています。
現在の勤務先は母も永年勤めていた法人。そのような職場環境の中でまさに地域社会の中心であるお年寄りのために恩返しができるかと思うと、これ以上のやり甲斐はないですね。

印象に残っているご経験はどのようなことですか?
現在勤務している特別養護老人ホームに入居している男性Aさんのケースです。飲食店で修行していたお孫さんが独立し、居酒屋を開店したという情報が入りました。
優しい方なのですが、普段から自分の家族のことを話すことは殆どなく、新聞に挟まってきたチラシを見て「この店主ってあの人のお孫さんじゃない!?」と気付いた職員が教えてくれたのです。
本人が自分から言うことはありませんでしたが、そのお孫さんのことを心配している一方で、時折他の介護員が「お店行ってきたよー」って写メを見せてもらったりして、うれしそうな表情をしていました。
とある日、選挙の期日前投票で外出することになり、本人へ「一度お店に行ってみようよ」と提案しました。
本人は恥ずかしがって「自分一人で外出するんじゃないんだし、わざわざいいよ」と苦笑いしながら遠慮していました。結局その場は、帰りに店の前を通って外観を眺めて帰ってくることにしました。
その後、こっそりお孫さんに電話。訪問予定時間を伝えてアポを取り、本人の状況を伝えてサプライズ訪問を演出することにしました。
実際にお店の前に来て降車すると、眼を輝かすAさん。お孫さんから出てきてもらい、店舗を案内してくれました。下ごしらえ中の従業員の皆さんも手を止めてAさんにご挨拶。
「一生懸命修行していたのを見ていて、夢を叶えたのだと思うと涙が出る。本当に頼りになる孫だ」と泣いて喜んでいたのでした。
後日、別れ際に撮った記念写真を渡すと、満面の笑みで「あんたのおかげで夢のような時間だったよ」と答えてくださいました。本当に、仕事をしていて良かったなと思える瞬間でした。

仕事に就かれた当初苦労されたことなどありましたらお願いします。
現在は男性の介護士も増え、業界全体での男女比も増えてきているような印象があります。
しかし、私が仕事に就いたときは周りの殆どが女性でした。女性社会の中に飛び込み、周りの職員に合わせながら働くのはなかなかに大変なものがありました。
例えば、別の職員の噂話をしている人たちがいて、突然自分に話を振ってきて、同意を求めてきたりするのです。
うかつにその話題に相槌を打ちながら話を聞こうものなら、いつの間にか「〇〇くんがあなたのことあんな風に言っていたよ」となってしまうのです。
また、介護業界にはよくある話ですが、介護に関する考え方の違いから発生する“派閥”問題にぶち当たったこともあります。
社会人になったばかりの頃は、「利用者さんの介護をするのが仕事で、同じ目的に向かっているはずなのに、なんでこんなにバラバラなんだろう?この人たちは何でお互い足を引っ張るようなことをしているんだろう?」と理解できず、悩んだことを覚えています。
今考えると、新人イビリのようなことだったのかもしれません。
次第に経験を積み、このように足かせとなっている職員が何度も介護福祉士や介護支援専門員の試験に落ちて燻っている中で一発合格した私を見ると、私にこのような言動をすることはなくなっていきました。
その後、介護主任やケアマネ業務、管理者業務、労務管理業務を行う中で、職員同士の相性や一定数の派閥員が集まると職員管理上の問題が生じることを学びました。
それからは職員の人間関係に気を配り、うまくバランスを取って配置するように努めると同時にチームケアの研修を根気よく行うことによって、このような問題を解決することができました。
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日頃から大切になさっていることはなんですか?
何よりも大切にしていることは、利用者さん一人一人の目線で会話をし、相手の気持ちを理解しようと努力するという点です。
現在私が関わっている利用者さんのうちの大半は、あの戦争・戦後の大変な時代を乗り越え、生き抜いてきた方々です。
利用者さんの個人ファイルの生活歴の欄は、数文字~1行程度の記載で済ませていることが殆どです。そこに隠された苦労は私たちが理解することすらできないほど大変な出来事があったはず。
自分より身長が高い方は殆どいませんし、介護施設の中では多くの方々が車椅子です。そのような人生の大先輩に対して上から見下ろして話すなんて出来ないですよね。
また、先の体験談でも触れましたが、高齢者方々には自分の気持ちをあまり表に出すことがなかったり、逆に遠ざけようとする言動をなさったりすることがあります。
そのような時はもう一度生活歴を見返したり、ご家族の方に話を伺うなどして背景を探ったりします。その心の奥に隠した真意には何があるのかを考えることが大切だと思っています。
仮に気持ちを引き出すことには失敗したとしても、うわべだけでなく真に利用者さんを理解しようと努力する姿勢は必ず相手に伝わります。
それがいずれ、頑な心を溶かすことになると信じています。

今後やりたい事や目標などありますか?
私は現在、社会福祉士の受験資格を取得するために通信教育を受講しています。社会福祉士を取得することが私の一番の目標です。
何だかんだ申しましたが、実は口下手で人見知りな私。相談業務は実は苦手なんです。私が目指すのは、「縁の下の力持ち」。
利用者さん一人一人の生活の質を意識し、目指す生活を実現するためのパイプ役になることです。
それを実現するためにはオールラウンドな能力が求められるのです。社会福祉士としての相談技術や知識を身に着けることは、そのような私の弱点を克服することにも繋がります。
そして、今現在感じている施設での課題を解決するために力をつけて、私を働かせてくれている利用者さんたちのために恩返しをしていきたいと考えています。
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これから介護の仕事を目指している人へメッセージをお願いします。

訪問介護という仕事は、主婦の方にピッタリな仕事だと思っています。
介護の仕事は、よく3Kと呼ばれます。確かに給料は高くないですし、体力的に大変だと感じることも少なくありません。
しかし、介護の仕事ほど人間味溢れる魅力的な仕事はないと感じています。人の温かさ・優しさに触れることができる仕事です。
また、現在の社会情勢でも分かるように、介護士はますます必要になっていくでしょう。
2019年10月は特定処遇改善加算も始まります。
これはベテラン職員を中心とした処遇改善ですが、これを皮切りに介護士以外の福祉関連職種の処遇改善が叫ばれるようになりました。ますます今後処遇改善も進むでしょう。
安心して、介護の世界に足を踏み入れてください!皆さんと一緒に仕事ができる日が来ることを楽しみにしています。