現役介護士の深イイ話
インタビュー実施日:2021年2月20日
現役介護士にインタビューすることで、介護職として働くことのメリット、デメリットを伝え、これから介護職を目指そうとしている人達の背中を押すことが最終的なゴールです。
介護福祉士、パーソナルトレーナー。1970年生まれ。
建設、物流関係を中心に多種多様な業種に従事。
25歳の時、好奇心を駆り立てられサッカー指導者になり、35歳になると会社員を退職し自らサッカースクール開校。その後、スクール運営の傍ら介護施設で常勤となり、11年間二足のわらじで生活安定を図る。
現在、介護福祉士兼パーソナルトレーナーとしてデイサービスに勤務。バリエーション豊かな人生経験を活かし、新たな可能性を探求している。
介護福祉士兼パーソナルトレーナー NOBUさん
あなたにとって介護職とは?
世間が思う以上に大変な仕事ですが、世間が知らない幸福感がそこにあります。
お互いの人生を共有する時間の中で、一緒に笑い、喜び、時には泣いたり励まし合いながら、多くの気づきを得て学び、人として成長できます。
とても、とても人間味にあふれた仕事です。
今日という一日がどれほど大切かを実感し、人そして社会に貢献している自分を誇りに思える職業だと思います。
私のざっくり変遷記(職務経歴概略)
- 1985年10月~1988年2月夢と挫折の15歳 社会人生活のはじまり15歳でアクション俳優を夢見て高校を中退し上京。塗装工で生活費を稼ぎながら劇団の養成スクールに通う。慣れない都会での生活と仕事、10代の私には夢を諦めるのに十分な言い訳となりました。わずか3ヵ月での挫折。地元に戻ってからは、鉄筋工、タイル職人、看板屋、大工など、アルバイトも含め目的もなく転職を繰り返す日々を送ることに。
- 1988年3月~2005年12月自分を発揮することで認められる喜びを知りましたトラック野郎に憧れ、18歳で自動車免許を取得するとすぐに運送会社に転職。
大型免許も取得し、ここから35歳までの17年間、私は物流業界に身を置くことになります。また、会社員の傍ら25歳の時には、好奇心からサッカーの指導者となり、これが後の人生に大きな影響を与えることになりました。
一方、26歳から35歳までの9年間は、某大手電機メーカーの物流倉庫管理業務に派遣社員として従事。この時期に家庭を持ち、充実した日々を迎えます。この9年間は自分の持てる能力をもっとも発揮した時期であり、職場内外での信頼も厚かったと自負しています。 - 2006年1月~2008年12月大胆かつ無謀な決断35歳の年の暮れ大きな決断をすることになります。自身のサッカースクールを立ち上げるため退職を決意。そんな時、派遣先の某大手電機メーカーから認めていただき、正社員での採用を打診されました。しかし、決意は揺らぐことなく、周りに反対されながらもあっさり退職。翌月にはスクールを開校し、ゼロから新たなスタートを切りました。
- 2009年1月~2013年3月生活のため介護施設に就職 二足のわらじを履くことになるスクールの運営は安定せず、生活のため知人を頼り介護施設に常勤として入社。以来スクール閉校までの11年間、二足のわらじで奮闘。
当初、運動指導者として施設に入社しましたが、想像した世界とはまったく違い、何もできず挫けてしまい「無理、辞めよ!」と決意。しかし、悔しさが込め上げ、一念発起してパーソナルトレーナースクールを受講、修了し、知識と技術を身につける。 - 2013年4月~介護士福祉士兼パーソナルトレーナーとして介護の可能性を探求入社4年目に介護福祉士資格を取得。この時期より、一対一でのケアが仕事の中心になる。多くの方の身体に触れ、言葉にならない思いを感じるようになりました。身体は人生の履歴書とはよく聞きますが、その通りだと思います。これからも、利用者さんとご家族、地域社会に向け、笑顔と健康に貢献する介護士として、新たな可能性を探求しています。
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私はこんな介護士です。

私は冗談が大好きです。
お笑い番組やトークバラエティーを、まるで教科書のように観てしまう私ですが、それもこれも冗談の先にある笑顔が大好きだからです。
私には定番となっている挨拶の仕方があります。初めてお会いする利用者さんに「はじめまして、よくしゃべる高倉健です」と言っては笑いを誘い、緊張を解しています。もちろんスベル時もありますよ。
それでも笑いは最高の万能薬です。これからもトークに磨きをかけていきます!
ところで私は、この仕事に辿り着くまでに転職を繰り返してきました。転職が多いと一般的にネガティブな印象を持たれることでしょう。でも私の場合は、これまでの経験を介護の日常に大いに活かし役立てています。
例えば、物流業界の経験は送迎・配車、大型自動車免許は、マイクロバスでのお出かけ、看板屋はイベント時の看板製作、サッカー指導はレクリエーション、といった具合です。なかなかマルチな存在の私です。
今、ここ(介護の世界)にいることも、きっと縁あってのことだろうと楽しむことにしています。そんなポジティブマインドな介護士です。

どのようなことをキッカケに介護士になったのでしょうか?
きっかけは率直に言って生活を安定させるためでした。
介護の仕事に興味があったわけではなく、サッカースクールの運営を続けるために経済的安定が欠かせなくなったからです。
そこで、融通が利く職場を探していたところ、ありがたいことに今の施設に事情を快諾していただき、常勤としてお世話になることになりました。
しかしながら、最初は仕事内容に戸惑いを隠せず、人にも馴染めず、心は折れ、自分にはこの仕事は絶対無理だと思いました。実際に入社後、しばらくして身体の異変を感じ、病院を受診したぐらいです。そんなこともあり、介護士としての自分を意識できたのは、入社3ヵ月も過ぎたあたりからでした。
今こうして介護士を続けてこられたのも、辛かっただけの業務の中に、一つまたひとつと小さな喜びを感じるようなり、その喜びの中に人として大切なことをたくさん見出すことができたからです。
そう思うと、介護士になるためのキッカケをくれたのは、実は利用者の皆さんだったりするのかもしれません。
他にも、やり甲斐や誇りを持って働く介護士がいます

介護士になって良かったこと、やり甲斐は何ですか?
人、社会に貢献することで、いつのまにか自分も成長していることが実感できます。
人が老いるとはどういうことか、生きるとはどういうことなのか、そんな大切なことを意識的であれ、無意識的であれ、日々体感し学んでいます。
自分のあり方について真剣に考えるようになり、人生をどう生き、どのように歩いていくべきか、一日一日を大切に生きようとする気持ちも芽生えました。
利用者さんにとって私たちは、もしかしたら人生で最後まで一緒にいる存在かもしれません。そう考えたら今この瞬間、共に笑顔でいられることがどれだけ素晴らしいことなのだろうと思います。
こんな想いが日常になっている仕事は、そう多くないのではないのでしょうか。そんな素敵な時間を過ごし、かけがえのない毎日の中で、たくさんの気づきを得ています。

印象に残っているご経験はどのようなことですか?
2011年3月11日。未曽有の被害をもたらした東日本大震災が起こり、日本は混乱の最中にありました。そのわずか5日後、母親が脳梗塞になりました。
早朝4時頃、一人暮らしの母から電話があり、その症状を聞いた瞬間、脳梗塞を疑いすぐに救急車を母親の自宅に手配しました。今思えばこの時の私は、慌てることなく冷静に対処できていたと思います。おそらく介護士としての経験が生かされたのでしょう。
受診の結果はやはり脳梗塞。しかも一時は病院に呼び出され、最悪の事態もあり得るとの説明を受けましたが、幸いなことに麻痺などの後遺症も最小限に抑えられ、何とか元の生活に戻ることができました。ところがその3か月後、認知症を発症してしまいます。
そしてこの日を境に突然、介護士である自分が介護者となり、利用者の家族という立場にもなりました。
さすがにショックでしたし、頭が真っ白になりました。気持ちも沈みがちでしたが、励まし、支えてくれたのは、他ならぬ会社や介護士の仲間でした。
まるで闇から光を見るような経験でしたが、その過程で学び感じたことは間違いなく自分の人生観を変えました。
あれから10年、現在母親は私の勤務する別事業所のデイサービスに通っています。分かり合える同僚に支えられ、それなりに元気に過ごしています。

仕事に就かれた当初苦労されたことなどありましたらお願いします。
何もかもが辛く感じたのを覚えています。
その中でも特に認知症の方への対応には、苦労どころか精神的に参りました。
よく覚えているのは入社してすぐ、それこそ右も左もわからない頃に、ある認知症の方が話しかけてきた時のことです。(当時、その方が認知症とすらわからなかった)
わずか数分の間に、同じことを何十回と聞かされる。その時私はどうしてよいかわからず、相手の方に合わせて何十回と同じ返答を繰り返していました。
すると、まるで別世界にでもいってしまったような感覚になり、気分が変になりました。そんな私の状態に先輩介護士が気づき、上手に対応してもらったことがありました。
それからというもの、自分に足りないものは何だろう?と毎日本を読んだり、情報収集に明け暮れる日々が続きました。
しかし、そもそも何が必要かわかってなければ、何を学んでも「わかったつもり」になるだけです。結局、そんなことでは問題を解決することにはつながりませんでした。
仕事を始めたばかりの頃は、わからない自分が凄く嫌でしたし、役に立つことができない自分を情けなく思えました。しかし、その過程があったからこそ、大切なことがわかるようになりました。
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日頃から大切になさっていることはなんですか?
いつも心がけていることが二つあります。
一つは常に笑顔があふれ、自然体でいられる環境を創造すること。そしてもう一つは「人生を共有」しているという自覚です。
私はこれまで、サッカーを通じて多くの子供たちと時間を共にしてきました。
互いに影響し合いながら成長していく素晴らしさには感動を覚えます。その素晴らしさを今、介護の現場で同じように感じています。高齢であっても、子供だとしても、人としての本質的な部分に何ら違いはありません。
私は、不自由を補う介護士ではなく、不自由の中の自由を共に楽しめる介護士でありたいと想っています。先入観を持つことなく、すべてをありのままに感じ受けとめる「感性」を大事にしたいです。人としてお互いが自然体であり続けることを大切にし、一切のジャッジを挟まず、相手の方をよく知るよう努めています。
介護の道を歩いて12年。経験を重ねていくうちに敬う気持ちが芽生え、その気持ちに感謝する日々を過ごしています。

今後やりたい事や目標などありますか?
社会貢献をすることです。
自分の経験やスキルが誰かのお役に立てるなら、喜んで貢献したいと考えています。
現在勤務している事業所は、地域貢献に積極的なところで、これまでにも数多くのイベントで地域の方々と交流を持ってきました。私もいくつかのイベントには企画段階から携わってきましたが、笑顔や喜びに包まれる人々を見て感動するほどの充実感を味わいました。
個人的にも微力ながら取り組んでいることがあります。介護士であり、介護者でもある自分の境遇を生かし、からだのケアを通じてご家族を支える一助になることです。この取り組みにより、家族の深い想いに触れることもありました。
今後目標としているのは、利用者さんやその家族、お知合いはもちろん、地域のみなさん、同業の方たちとも交流を深め、ワクワク楽しくなるような地域社会を創造することです。
もっと開放的で、互いの存在を認め合い、敬う社会づくりを目指していきたいと思います。
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これから介護の仕事を目指している人へメッセージをお願いします。

あなたが介護の仕事を目指している、もしくは興味があるのであれば、その気持ちを持っていることがすでに素晴らしいことだと私は思います。
なぜなら、きっとあなたは誰かの役に立ちたいと思っているでしょうし、人と関わることが好きな人だと思うからです。たとえお金のためだとしても、介護という仕事が選択肢にあるのなら、この仕事はあなたにとって、素晴らしい人生になるキッカケをもたらすかもしれません。
介護に限らずどんなことでもそうですが、実際に経験しない限りその本当のところはわかりません。私がそうであったように、現実を目の当たりにして辛くなるかもしれません。
そんな仕事において、日々の業務で様々な問題を乗り越えていく時、その原動力になるのは人にとって大切な「想い」です。その想いを表現するために知識や技術が必要になります。また、自分を相手に置き換える想像力もいるはずです。
その「想い」が「志」へと昇華した時、あなたは人として成長し、周りの人にとってかけがえのない存在になっているはずです。