現役作業療法士の深イイ話
インタビュー実施日:2020年9月11日
現役で働くリハビリ職のインタビューを通じ、医療介護従事者として働き続けるモチベーションの源泉に迫ります。周囲の考えに目を向けることで、この先にどうありたいか、自分の将来を考えるキッカケになれば幸いです。
はじめまして。私は作業療法士12年目のケロ松です。30代の男性で、3児の父親として日々妻と共に育児に励んでいます。
現在は地域医療の中心を担っている急性期病院に勤務しており、配属されている病棟では脳血管疾患や難病患者を中心に担当しています。
直近の配置変換で、循環器疾患の患者さんを診る機会も多くなり、リスク管理の大切さ・大変さをひしひしと感じています。
趣味はゲームをすることで、妻とは音楽ゲーム・子ども達とはマリオやどうぶつの森などのゲームをして楽しく過ごしています。
子どもの英才教育(?)の甲斐もあり、一昨年には3人チームで戦う某ゲームの全国大会に出場することが出来ました。
東京ゲームショーという大きなイベント会場でガチ勢を相手にゲームをプレイする経験は、子どもにとっても良い思い出になったのではないかと思います。
他には読書や映画鑑賞・時代劇物のテレビ番組なども好きです。
と言いますのも、私が勤めている地域は日本でも特に高齢化が進んでいる地域で、入院患者の多くが独居や老々介護の高齢者といった状況です。
いろいろなジャンルの話題に対応するために日々アンテナを張っておく大切さを感じています。ユマニチュードという訳ではありませんが、共通の話題を持つことで患者さんとの心の距離感が一気に縮まるので、どんなことにでも興味を持って知識として蓄積する事を心掛けています。
作業療法士 ケロ松さん
あなたにとって作業療法士とは?
私が思う作業療法士とは、専門的な知識があることを前提とした「接客業」だと思います。
私は高校時代から介護課に通っていた事もあり、多岐にわたるジャンルでの介護に携わってきました。
ですが、リハビリテーションを提供するようになって痛感させられる事は、患者さんの人生の中で一番辛い時期にサービスを提供しているのだという事です。
病気やケガで体の自由が利かず、入浴や排泄など他人には見られるのも嫌な活動でさえ他人の手助けが必要な状況。いくら患者さんの心理状況を想像したとしても、本人の感じている苦痛には遠く及ばないと思います。
また、急性期病院は治療が終われば転院、または退院してしまうのでそこでリハビリの介入は終わりますが、その人にとっての人生はそこからまた始まるのだという事も常々念頭に置いておかなければいけません。
そのような状況にある患者さんに対して「どのような声掛けをすれば前向きな気持ちを取り戻せるのか」「どんなキャラクターとしてこの患者さんと向き合うのがベストなのか」そういったことを常に考えていかなければいけない大変で大切な仕事です。
私のざっくり変遷記(職務経歴概略)
- 2009~2013年回復期病院専門学校を卒業する年、知人の言語聴覚士から「とても厳しいが勉強になる病院がある」と聞いて迷わず応募したのが、全国的にも有名な回復期の病院でした。
病院は200床程の規模ですが、デイサービス・訪問看護ステーション(訪問リハビリテーション)・老人保健施設と同法人内で在宅サービスまでカバー出来る、とても理にかなっている病院です。
1~2年目は先輩のしているリハビリプログラムを真似ながらアプローチを模索する毎日でした。
定例カンファレンスや先輩からの熱心なフィードバックのおかげで、リハビリ自体の質は担保できていたと思いますが、フィードバックの中で自分のリハビリテーションに対する認識がいかに甘かったかを痛感させられました。
3~4年目になると、後輩が作成したカンファレンス資料の指導や自分が主導で退院前訪問を行う機会が増えていきました。
業務負担は増えましたが、徐々に自分で出来る仕事が増えていく喜びという物も感じました。
業務としても、調理練習や公共交通機関利用練習など、作業療法士としての専門性をフルに発揮した介入が出来ていたと思います。 - 2013~現在総合病院臨床4年目の年に長男が産まれ、勤めていた回復期病院では仕事と育児の両立は困難だと感じたので転職を考えました。
以前より興味があった総合病院の求人があったのは、本当に幸運だったと思います。
飛び込む形で急性期病院に転職した私でしたが、初めて担当したICU患者を目の前にして「一体何をすればいいんだ。むしろ何ならしても大丈夫なんだ」と慄いた記憶が鮮明に残っています。
ICU以外に一般病床で担当した患者も、回復期病院で働いていた時には聞いたことも無い病名の患者さんばかりで、担当患者が増えるたびに1から勉強しなおした記憶があります。
また、急性期病院に転職して初めて経験したことの一つに「学会報告」があります。
脳卒中のデータベースを基に、統計学を用いて患者の傾向や予後予測に重要な因子を抽出するなど、臨床漬けだった回復期病院では絶対に関わることのなかったであろう世界に触れて、学会報告の経験が豊富な先輩に指導されながら日々奮闘しています。
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私はこんな作業療法士です。

私は患者さんからよく「面白い先生ですね」と言われます。
というのも、以前勤めていた病院では他のセラピストが担当している患者さんともコミュニケーションを図ることが多く、リハビリ室全体で楽しい雰囲気づくりをするという風潮がありました。
その流れで現在の病院でも患者さんと関わっていると、自然とエンターテイナーのようなポジションに落ち着いてしまったというわけです。
リハビリを行う上で、どのような形であれ患者さんのモチベーションをキープするというのはセラピストの重要な役割の一つだと思います。
人生の中でも大変な体験である入院生活だからこそ、リハビリの時間に少しでも楽しい気分になってもらうことを心掛けています。

どのようなことをキッカケに作業療法士になったのでしょうか?
ベタではありますが、私が中学生の時に祖父が脳出血で倒れたのがきっかけでした。
当時の私は医学的な知識など全く持ち合わせておらず、意識が無い状態の祖父を見ても「いつか治るのだろう」程度の認識しかありませんでした。
そんな祖父に対して、毎日リハビリをしてくれていたセラピストを見て憧れの感情を抱いたことを覚えています。
今から考えると、本当に維持的なROM程度のリハビリプログラムだったのだと思います。
ですが、その光景を見ている家族にとってどのような意味を成しているのか、自分にとって根底ともいえる経験を忘れないようにしなくてはいけません。
その後、セラピストになった時の糧にしたいと思い、高校は介護福祉士を取得できる科を選択しました。今思えばかなり早い段階でセラピストになることを目標にしていたように思います。
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他にも、やり甲斐や誇りを持って働く人がいます

作業療法士になって良かったこと、やり甲斐は何ですか?
回復期病院で働いていた際は、患者さんが病前に住んでいた環境に戻れたときの嬉しそうな表情を見ると、達成感を覚えました。
もし作業療法士という仕事が無ければ、患者さんは自宅での生活に不安を感じながら退院していたかもしれないと考えると、病院における作業療法士という仕事の存在意義を強く感じます。
急性期病院に転職した今は、直接自宅に退院する患者さんは少なくなったものの、退院後暫くして「こんなに動くようになったよ!」と受診に来た際にリハビリ室に顔を出してくれる患者さん達を見る事に喜びを見いだしています。
いずれにしても、自宅に戻った後の生き生きとした表情を見ると、次の患者さんにも真摯に向き合わねばと感じます。

印象に残っているご経験はどのようなことですか?
一番印象に残っている出来事は、親族が誰も居ない高齢女性を施設につないだ時の出来事です。
車椅子自走レベルで施設退院が決まったものの、「何の楽しみも無い」「最後にお汁粉が食べたかった」としきりに不安がっていた患者さん。
退院後にお汁粉を持って施設を訪ねた時の嬉しそうな表情は今でも忘れられません。
それから一月に一回は顔を出すようにしていたのですが、ある日訪ねると施設スタッフの方から「先週亡くなった」と告げられました。
自己満足な関わりだったかもしれませんが、その患者さんにとって少しでも良い思い出になってくれていたら良いなと思います。

仕事に就かれた当初苦労されたことなどありましたらお願いします。
就職当初苦労したことでいうと、臨床に対する意識の低さです。
専門学校在学中は成績が良い方だったので、臨床に出てもなんとかなると勝手に思い込んでいた自分が居ました。
ですが、カンファレンスやサマリーの資料を先輩から指摘される度に、自分の社会常識の乏しさと国語力の低さを痛感させられました。
また、学生の頃はいかにバイザーのフィードバックを当てにして資料を作成していたのかという、自分の意識の低さを突きつけられたような気もします。
実技の面でも、先輩から手技やプログラムの指導を頂いてもなかなか上手く出来ない中で、患者さんにはそれを提供していかなければいけないというジレンマを感じていました。

日頃から大切になさっていることはなんですか?
私のモットーは、患者さんと適度な距離感を保つ事です。
働き始めた当初や高校時代の介護実習では、患者さんとタメ口で話すスタッフを見るたびにいかがなものかと疑問を抱いていました。
ですが、働き出してしばらくすると、そういうスタッフの方が距離感を縮める事が出来ているケースが往々にしてあると感じました。
どんな患者さんにでもタメ口を使う(タメ口しか使えない)のはいかがなものかと思いますが、患者さんのキャラクターによってセラピストとしての自分を使い分ける事を大切にしています。

今後やりたい事や目標などありますか?
現在は新型コロナウィルスへの対策でストップしていますが、近隣の連携病院との間で添書の内容やFIMの採点基準に対しての合同勉強会を行っていました。
その活動を持続的に行う事で、密な情報提供と質の高いリハビリテーションを提供できるのではないかと思います。
また、病院間の活動だけでなく地方自治体が行っている住宅改修制度への関与も行っています。
まだ訪問件数自体は多くありませんが、徐々に件数を増やして色々な経験を積んでいきたいと思います。

同じ作業療法士として働く方へメッセージをお願いします。

特に急性期病院で働く作業療法士の方からは共感を得られると思うのですが、職場内で作業療法士としての専門性を発揮する事に尽力しなくてはいけません。
疾患の治療が優先される急性期病院において、ADLやQOLに特化した職種である作業療法士は、特に頑張らなければいけないと思います。
頑張るベクトルを間違えてしまえば、理学療法士の助手のようなポジションに甘んじてしまという事を、身をもって経験している手前、同じような悩みやジレンマを感じている作業療法士と刺激しあって成長していきたいと思います。